2020年5月28日木曜日

働く意味がなくなった瞬間とそこからのシフトチェンジ。



ここ1週間、あまり天気と体調がよくなく、寝たり起きたりの午前中を過ごすことが多かったため、なかなかブログ更新できず。

ここ数日、落ち着かない自分を落ち着かせようとしては、いろんな人に必要以上に絡む日々でした。

この落ち着かない不安はどこから来てるんだろうか。
どうしてこんなに苦しんだろうか。

たどり着いた仮の答えは、「実家に戻りたい。」という答えでした。
とりあえず、誰かがいれば安定する。
面倒な今の状態からいろいろ抜けられる。
両親に泣きつきました。

でも、帰ってくる答えは相変わらず「ノー」。

「自立してほしい。」気持ちはわかる。そうしたい。
でも、もう40過ぎて不安ばかりが募る。
もういいじゃないか。
もうこれ以上何がんばればいいんだ……。

『あれ?自分、なんのためにがんばってるんだ??』

何でつらい思いしか頭に残ってない??
こんなつらい思いしながら、なんで働こうとする?
何で一人暮らしする??

……S学園いたほうが楽しくね?
(※ S学園とは、訳があって、私が短期入所として保護してくれた障がい者施設。)

優しくしてもらえた記憶しかないもん。

いまなんて、だれも優しくしてくれない。
なんでも「甘えてる。」って一刀両断されて、だれも私の訴えなんて聞いてくれない。
なにしても、なにやっても認めてくれない。

一方で「甘えてる。」って言われるのに、一方では「ストレスたまってる。」って言われるし、んで耳鼻科で今年かかる羽目になったし。

親だってそうじゃないか。
「働いて税金払えるくらいの収入得るようになったら、認めてやる。」って言っておきながら、いろいろ難癖つけて、実家戻るのだめばっかりじゃね?

そう、結局、自分の行動なんて。

「誰かに認めてもらいたい。」という他人基準でしかなく。

自分がこうありたい、ああなりたいという思いじゃなかったことだったんだろうなと。

なんか、いつもの行動パターンではありますが。(笑)

いや、違うんですよ。
いつもとちょっと違うのは、いつもなら他人に思いをぶつけて消費していた思いを直接、親にぶつけてしまったこと。

「私、今まで、もう、疲れた。仕事辞める。どうせひきこもるなら仕事せず何も考えずぼーっとしていたい。」と私。

「は?なにいってんの?あなたが好きで望んだことでしょ?」と親。

「は?好きで障がい者望んでないよ。つか、障がい者になっても、どんな方法使っても、社会に出れば、おたくらに認められるかと思った。いっつも何やってもほめてくれないし、出来て当たり前。私らのいうこと従えば、幸せになれるからってよくおっしゃってらしたけど、ちっとも幸せじゃないわ。」と恨みつらみのワタシ。

「いい、もう、何もしたくないわ。基本、めんどくさいこと嫌いだし。頼むから、もうこれ以上、いい子になること望まないでください。私もとりわけ何か望みませんので。」

親に言ってるつもりでしたが。

嫌なこと、気がのらないことはしなくていい。
(=好きでやってるのかと思ったって言われるのはこりごりだわ。)
他人に何かを望むのやめよう。
(=物事、期待通りにいかないことでイライラするのばからしいわ。)
答えを自分の中で探して、あっているかどうかを他人に確認しない。
(=間違っていても、選んだのは自分だから責任持つ。)

いろいろ自分の中でも、再確認したり、教訓作ったり、反省してました。
そして、「答えを自分の中で探すこと。」について。

間違えたくない、失敗したくないから、他人に必要以上に意見を求めたがり、境界線を越えてしまう癖の原因の一つなのかもなとふと思いました。

もっと自分を大事にしたい。自分に自信を持ちたい。楽しいこと見つけたい!
しばらくは、この思いで生活してます。

また何かが見えた時に、思いはころころ変わると思いますが(笑)。

あ、働く意味についてなのですが。
人それぞれだと思うので、議論するのはナシの方向でお願いします。(笑)

でも、働く意味はよく考えると私の中には割とあって。
今、仕事としてやりたいことができていることが大きいのかなと思います。

宣伝や広報的なことをやらせてもらっているのは自分の意志だし。
最近は文章書くのも楽しくてやってるんだなと思っているし。

アートのことも、YouTubeも。

もう少し、前向いてがんばれそうです。

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