2021年6月6日日曜日
「毒親」に変わる何か言葉ってないかな?
父が亡くなって3カ月。
私は、月1回実家にバスに乗っていくのをルーティーンにしてる。
私とっては、今や数少ない「遠出」。同じ市内と言えども、バスで30分~40分揺られる心地よさが程よく旅行好きの自分を癒してくれる。
一方実家では、父母2人きりの生活から、だいぶ外部の人たちも出入りするようになる。
ヘルパー、役所の人間、福祉関係者……。
そのたび、どことなく、「どう対応したらいいかわからない。」SOSなんだろう。
でんわ越しにあーだ、こーだが始まる。
「やっぱり、あなたがいないと困る。」と依存的な発言があれど、「じゃあ、一緒に住まわせて。」というと「嫌だ!」と思いっきり、拒否されます。
「あんたに払う金はもうない!」というけど、私だってある程度の収入あるんだから別にお金せびっているわけじゃないのになあ~💦
まあ、程よい距離感なんでしょう、今は(笑)。
まだ、何気に「毒親」の本、ブログ関係読んじゃいがちです。
でも、だいぶ見え方が変わってきたなあ。
毒親って形で描かれている人たちも、結局さみしさや孤独感、そして見捨てられ不安があるんだろうなって。
「私の周りには何もなくて、子どもまで離れてしまったら……。」
「私の存在って……。」
「私だってがんばっているのに。」
そのおもいや、いら立ちが子どもにとっての「毒」に見えてしまっているんだなと。
受けた側は傷ついている間はやっぱり見えない。
でも、傷が癒えてくると見えてくるかもしれない。
私は、だいぶ、いろいろな傷が癒えてきた気がする。
まだ、自己否定強いこと多いけど、だいぶ自分に「かわいいな。(笑)」って思ることも増えてきたし。
よく私の周りで親になっている人たちの中には、
「毒親って言われたくない。」って子育てに悩む人もいる。
未婚で子どももいない私が言うのもなんだけど、なんか、ほんと、さじ加減だよな。
一応、保育士って資格と経験がある分、それを活かしていろいろ応援できたらいいなって思うけど。
きっと、視野が開けてくると、愛はどこかにあると思うさ。
それを信じて、今日という日を生きるしかない、がんばるか……ということで。(笑)
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