2020年11月5日木曜日

誰のための「ピア」でありたい??


 ここ最近、釧路近辺の障がい者施設関係機関のピアサポーター、ピアスタッフとして一線で動いていた人たちと電話なり、LINEなどで近況を話す機会がありまして。

ほとんどが「仕事辞めたあ。」という報告。

いっぱい愚痴も聞いた。大変だったなあって。

脱線して、ひとつ言えば、私はピアスタッフではないんです(笑)。
いち自助会の代表であって、ま、もしかしたら、ピアサポーターとは名乗っていいのかもしれないけど、名乗ってしまったら、今の状態なら、ほかの人から、反感買われてしまうぐらい中途半端ぶり炸裂の人間です。(笑)
※ 今日も仕事でいろいろやらかしてしまい、自己嫌悪に陥っているので、若干自虐入ってます。

話を軌道修正。

多かった言葉は。
「なんかスタッフのために動いている気がして嫌になった。」
「本当は、誰のためのピアでありたいかがわからなくなった。」

『困っている当事者(仲間)のために、自分の経験を活かしたい。』
そう思っても、結局はスタッフ同様の日々の業務に追われてしまう。
当事者の要求もわからないわけじゃないけど、スタッフの事情も分かってしまう分、何か知らない間に、板挟みになってしまってる。

当事者に寄り添うためというはずが、どことなく、スタッフ不足の人員確保や補助的役割されていないだろうかとか、悩みは多かったみたいで。

ピアの在り方については、近々札幌のグループとまたお話ができそうなときに札幌やほかの地域の方々はどう考えるか聞いてみようかなと。

一方でその話を聞きながら、逆に今の自分も「自助会の在り方」に通ずる部分もあるなあ。
ふとそう思ったり。

「ピアスタッフではないけど、私たちなりの自分の経験を活かしたい。」
「自分たちなりのリカバリーを見つけたい。」

そこからいろいろ考えが発展して、会も今に至る。

でも、人が増えない理由って何だろうって思った時。
凄い究極論として、今の環境に「自助会」って必要なんだろうかって思いがふと。

そして、周りの人……特に支援者サイドから「素晴らしい。」って言われて照れていた自分。気が付いたら、支援者さんたちの顔色だけを窺っていないだろうかと自己嫌悪が最近ひどいなあと。

本当に、当事者のための動きになっているのだろうか。
もしかしたら、釧路の当事者たちは今で十分幸せを感じて、これ以上何も望むことない人、多いのかなあ。

もしかしたら、自助会そのものいらない??

もっと足元見つめなきゃならないよな。
難しく考えすぎ??うーん((+_+))💦

「自助」「共助」って言葉、個人的には今の社会や精神科リカバリーの分野で大切になると思うんだけどなあ。

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