2022年10月31日月曜日

生きづらいのは、私のせいじゃない。


少し前に、精神科通院で帯広へ。
コロナ禍であることが変わりないので、ホント、通院して薬局で薬もらって釧路に帰る1日を繰り返している状態で、豚丼を食べるとか、あまり帯広滞在を満喫しているかと言えばそうでもなく。

「それだったら、釧路じゃだめだったの?」って言われても仕方ないというか。(笑)

そもそも、何のために通院するのかを自分の中で見直しが必要な気がしてきたかな。

本当は、よくなるために通院するはずが、障がい者でいる為に通院している。
今までは、それでよかったんだと思う。

なぜかといえば。
社会に溶け込めないことを自分でも責めたし、周りからもだいぶ責められたから。
「性格が悪い。」
「努力が足りない。」
矯正させようとして、厳しい言動や傷づく言動、挙句の果てに叩かれたり、殴られたり。
友だちになってくれる人がいても、離れていくし。もちろんいじめもあったし。
……どうしようもない自分にとって、発達障がいや精神障がいのレッテル貼られることが、少しでも辛い状況の逃げ道や免罪符になっていたのは確かだし。

「私が悪い。」から「私のせいじゃない。」ってどうしても思いたかった。

それは、究極のところ「死にたい。」というより「死ぬしかない。」って強迫がかった感覚にずっと支配されていた中で、それでもどこか「生きたい。」って思っていたからなのかもしれない。

ただ、もう、考え方を変えていかなきゃならない時期が来ている。
どんなに、障がい者への合理的配慮を叫んでも、障がい者側が考える合理的配慮は健常の人たちにとってはどうしても想像が出来ない部分がやっぱり存在していて。
健常の人たちの世界に飛び込んでいくには、やっぱり、厳しい世界だということを覚悟して、行かなきゃならないんだろうなあと思うようになってきている自分がいる。

ただなあ、「特性上どうしても」の部分を周りと私がどう折り合いつけるかなんだよな。

まあ、本日より2日間の休み。他科の通院で忙しいけど、のんびりできる時にのんびりといきましょうということで。

2022年10月23日日曜日

おじょうさん、おはいんなさい🎵


 ……って、なわとびの遊びのうた知ってます??
なわとびがグルグル回っている中に入っていく「アレ」です。

得意な人は、タイミング見つけて、ひょいと入って跳ぶんです。

私、あれが苦手でした。

まず、入るタイミングがつかめず「じーっ」と縄を見つめ続け、
「早く入ってよ~ヽ(`Д´)ノプンプン」と周りから怒られる。


んで、押されたり何とか無理矢理入ろうとしたりして、引っかかり。
「もう、下手くそ~ヽ(`Д´)ノプンプン」と再び、周りから怒られる。


あの、八方塞がりな自分の中のもやもやと周りのイライラで、縄跳びは一人で跳ぶものとなってしまった自分。

しばらく、縄跳びなんて縁がなかったけど、ここ最近、似たような状況が起きる場面がありまして……。

それは「会話によるコミュニケーション」。

最近、とある人から、「躁状態?テンションあがってるよね?」と心配され。
なんでだろーとおもったら、「やたら、人の会話に首突っ込んでくるから。」という答え。

私の席って、そもそもデザインメインの人たちと席が少し変わっておりまして。
壁に向かって座っているんです。
そのせいなんだろうか、すごく「孤立感」を感じてしまうんですよ。
「気にしなきゃいいでしょ!」なんだけど、気になるの。(苦笑)やっぱり。

そのせいもあるのと、なんか、ひとりだけ「無反応」っていうのも、空気読めていないのかなあって言う、変な空気の読み方をしてしまうんだろうなあ。

「私も、仲間に入れてよ。」っていう思い。

そして、もう一つ、これは発達障がいあるあるの王道三選なんだろうけど。
「話を持って行く。」「話がとっ散らかる。」「話が止まらない。」
たぶん、これがでてきたら、相手「ドン引き―💦」なんだろうなあ、すいません。

「そこまで、あなたに求めてないし、なんで、そもそもあなたの話題になってるの?」
と、ぎこちない展開になるという訳です。

いわゆるさっきの縄跳びで例えるとすれば、
「『おはいんなさい』にひっかかる現象。」だとおもいます。


でもね、意識しだすと意識したでまた、めんどくさくなるのが私なんですね。

某RPGの「スライムは仲間になりたそうにこっちを見ている。」ように、
「にぃは話に入りたそうにこっちを見ている。」なんですね。(笑)

いわゆる、「『おはいんなさい』に入られない現象」なんですよ。

そう、流れに乗る、すなわち 空気を読むが出来ないんですよね。

……はあ=3

実は、本当は、話すことって苦手だし、すきじゃなんです。
割とあがり症なんですが、知らない人が多いと思います。(笑)
発表のとき、体内で心臓がバクバク言って、手が震えているの知らない人が多いと思います(笑)。
わかってくれている人はわかっているんだけど。

ただ、ADHDが故なのか、気分変調症が故なのかわかりませんが。
ポーンとスイッチが入ったような感覚になると「しゃべりだしたらとまらない。」があるのも事実で、それが私を「おしゃべり」へと導いてくれるんだろうなあと。
きっと、ここのコントロールがうまくいけたらいいのかもしれません。

ただ、最近は周りの音を少し遮りたい気持ちもあって、イヤーマフがわりにイヤホンして時には好きな音楽を聴いて仕事していたりもします。

たまには、別室行くのもありだな。うん。

2022年10月22日土曜日

社畜根性もほどほどに。(笑)


思えば、今日は「べてるまつり」。

私は今回はやめました。
今月は、なんか、休みがうまく取れなかったんですよね。
なんか、今月、久しぶりにイベントが多くて。
しかもほとんどが、「付き合いで行く。」というもので。

なんか、もっと家でゴロゴロしたいのにー。
そんな気持ちにかられながらなおかつ、スケジュール変更の連続で。
やっぱり、先が見えないとゆっくりとした気持ちになれない自分だから、ちょっぴり爆発しました。

根っこは、「評価されたかった。」という気持ち。

みんなが見ているところでがんばれば将来につながる。
長時間就労だって、一般就労だって!
「健常の人たちのように、働いて同じ生活がしたい。」そんな望み。
そして、「ピアスタッフ」へのあこがれ。

どうしたらみんな評価してくれるかなあという思いがやっぱりあったんだなあと。
嫌なことだって、率先して。
スタッフの言うこと絶対。
生意気に見られたら干される。
いじめられるかもしれない、大声出されるかもしれない。
嫌がらせをうけるかも、挙句の果てに殺されるかも。

正直……周りが怖かった。

夜間対応してくれた人たちから「まずは自分の為に休もう。」って言葉。

「今の事業所で干されても他行けばいい。」
「いっその事、一般企業の方がもっと福利厚生充実しているんだから、そっちのほうがいい。」

いろいろ言ってくれる人もいたけど、一番刺さったのは、

「あなたは悪くない。」って言葉だった。

「だって、がんばってるでしょ。」

そう、がんばっているよ。

「意図的に失敗したくて失敗してる?」

ちがうよ。

「じゃあ、悪い事してないっしょ。」

……ああ、若干、いろいろなことに盲目になっていたのかもしれない。
そんな感じで、また、重くのしかかったものを手放すことが出来たというか。

「公人な私」もほどほどに、だなあって。

短期入所をはじめとする前向きな動きも出てきている今日この頃。
合言葉は「自分に正直に、そして優しく。」

そして、少し、あちこちのZOOM参加やイベントもほどほどにしようかと。
行きたいものは行くけど、行かなきゃと思うものは行きませんって感じかな。

「隣の芝生は青く見える。」この言葉を忘れずに。

2022年10月15日土曜日

たべすぎ、危険信号。



気が付いたら、ちょっぴりぽっちゃりしてた。
そして、イライラ、ムカムカがたまっていた。

リスカすると傷が残りやすい年齢になったのか、跡が残るの嫌がって切らなくなった分、食べることでのストレス発散。
いっぱい知らない間に、自分をいじめていたことに気づかされる。

ごめんね。自分。
どうして、自分に優しくできないのかなあって泣いていました。

SNSで、少しずつ吐き出して、プチ当事者研究して。
まずは、それに反応してくれたみなさんに感謝です。

最近、また仕事とプライベートの境界線がまたぐちゃぐちゃだったんだろうなあと反省。

しばらく、パソコンの画面をのぞいて考えこむこととか、営業も行くんだったら(本当は求められているであろうガチ営業はあまり行きたくない)肩の力抜いて、名刺配る程度やお店覗く程度にして、掃除や単純仕事も合間に入れて頭を使う時間を少なくさせてもらいたいな。

本当は、こんなこと宣言しないでも日常の中で何事もなくスムーズにできるのが理想なんだろうと思うけど、どうしても「わかってちゃん」働くなあ。

いや、「わかってもらえていない。」って感じるからなんだろう。
勝手に、レッテル貼られているなあって思うから、わかって~って叫びたくなる。

(でも、意外とそれは自分が自身でレッテル張りしているのかもしれない部分もあるけど💦)

「わかってもらえないってこともある。」ってことに折り合いつけられるようになれたらいいな。

2022年10月9日日曜日

自助会、やめます。


 衝撃的なタイトルになりましたが、2018年から細々とはじめていたI am hereの会。
いろいろ、考えた結果、今のスタイルでは続けていけないなあと。

理由は、いろいろあれど、一番は、「自助会としてやりたいことが良くわからなくなってきた。」ことかなあ。

そもそも、今、集まるにも抵抗がある状況に、集まりを呼び掛けても集まらないし。(笑)
いろいろ、要望があれど、その要望に応えようと準備しても結局、本番が迎えられない状況に、時間を費やすくらいなら、自分のやりたいことにもっと時間を使いたい。

いろいろな意見参考にしながらがんばってきたけど、自分の力不足と、気持ちの限界が来た感じがします。

しか~し!

解散ではないです。(笑)

自助会とか、当事者会というカタチではなく、別な(あるいは新しい)カタチでやろう!!

「別な(新しい)カタチ」って何よ?

……なんだろうねえ。(笑)

そんな感じで、さっきも仲間の一人と話してたけど、もう少し詰めてみようかなと。

例えば。
・多くの人が、障がい者福祉について考えてもらう活動。
・障がいや病気、そのほか、生きづらさを抱えて安心できる場所を探している人に寄り添う活動。
・さまざまな理由で、社会や地域活動などの一歩をうまく踏み出せずにいる人に一歩を踏み出すきっかけを作る活動。

ちなみに、個人的に私は私の生きづらさを「出会い」と「学び」というカタチで向き合い、行動してきたなあと思っています。

頭の中で、ごちゃごちゃ考えるより、いろいろ、企画を実際にやってみるスタイルで「これだ!」というものに会いたいです。

とりあえず、取り急ぎのご報告。