就活時代、一時、この質問に苦しんだことがあります。
学生時代から「ぼっち」になることが多く、実質、いないと思っていたから。
向こうにとっては、「友達がいない=集団生活になじめない」という図式なのかな。
確かに、保育を学ぶと発達課題というものがあって、その中に「友達と遊ぶ。」という項目もあるちゃあ~あるのです。要は「社会性」の発達の部分がそれにあたるみたいです。
やっぱり、いないってことは悪いこと?よくないこと?
だから私には発達の凸凹があるの??
かつては、この質問が苦手で、「友達」「友人」って言葉を聞くだけでプチ・パニック発作を起こすようになりました。
そんな中、ある就労支援員さんが放ってくれた救いの一言がこれです。
「色々な個性や考え方を尊重する時代に、友達のことを質問するのは時代遅れ。昭和初期じゃないんだから……。(笑)」
「友達」「友人」の考え方って人それぞれだし、意外とそれに縛られて苦しんでいる人って多い気がします。とくに、自閉傾向があったり、私のように境界性PDでひととの距離感に悩みがちな人は結構深刻に考えがちかもしれないです。
だから、私はよく「仲良くしてくれている人」って表現することにしています。
自分がうまく距離感を図れないので、基本、広く浅くを心がけながらのほうが迷惑にならないよなあってようやく見えてきたし。
既婚者の人たち何人かからは「結婚したら旦那がある意味友達かも。」なんて言う人もいたし。
人間関係って難しい。深くなるとよりめんどくさくなる。
友達神話も考え方次第だなと。
だから、I am hereの会は仲良し集まっての会にはしたくない。
色々な人がいて、いろいろな考えがあって、ひとりひとりが自主的にアクションを起こす勇気を持てる場所として存在し続けたいなと思うのです。