2022年3月21日月曜日

コロナに振り回されない日々を求む。


私の中にあった暗闇に優しい光をともしてくれた街・帯広(十勝)。
自称ADHD・発達障がいから、診断名ADHD・(広汎性)発達障がいとなった時。

純粋にうれしかったんだよな……帰りのバスと列車の中で涙が止まらなかった。
これで、いろいろなことにおびえなくて済む安心感がほしかった、当時。

失業し、当時の精神科の先生から「社会をなめている」「甘えているだけ」と言われ、福祉の介入は必要なしと言われた。

でも、当時の福祉の支援員が一生懸命話をしてもらいなんとか、自立支援医療はつけてもらい、それでA型就労での支援が始まった時、ある、障害を持つ同僚から、私が障がい者手帳を持っていないことを知り、
「障がい者手帳持っていないなら、障がい者じゃないじゃん!おかしい!ずるい!」って言われ、シカトや大人げないいじめを受けた。

手帳は支援が長期化するにあたり、もらうことができたが、ずーっと、「次は更新しないかもしれないからね。」「もう、一般就労いけるよね?」という言葉に精神的に追い詰められた気持ちでいっぱいだった時。

釧路での担当が変わり、「帯広、行ってみたらどうだろう。」という言葉に、ワラにもすがる思いで、当時疎遠だった母親にも協力してもらおうと電話し、いろいろなものを資料として持ち、行った病院で、着いた診断が「ADHD」と「広汎性発達障害」。

そして、診断ではないけど、「HSS型HSP」(←HSSの話はおいおいでてくるでしょう。)という結果を受けたあの日から、見通しの悪いカーブが続く峠道がゆるやかで見通しの良い道に変わって言った気がし、今に至った自分。

あともう一歩、というところ、通っていた病院の精神科が非常勤勤務対応ということで、他の精神科への受診が勧められた。
ただ、私の悩むところは、精神疾患の領域じゃない気がした。

発達障がいが故、HSPが故のしんどさや心の傷は釧路でどんなに話してもどこか深くはわからないという顔で見られている気がしてここ最近辛くて。
また、新しい一歩が踏み出せるように、新しい視線に出会えるように帯広行きを決意。

正直、早く帯広に行きたいです。でも、壁となっているのが「コロナ」。
もう、経済活動を回すために制限は極力かけない方向で……とはいうけど、何が起こるかわからない……状況次第では行けないことも。

あたらしい「先の見えない不安。」の暗闇にとびこんでしまっている自分。
光を探してうろうろしている今をどうか、周囲のみなさん、イライラするかもしれないけど、めんどくさいかもしれないけど、許してください。(泣)💦

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