2020年12月20日日曜日

当事者研究ネットワーク全道交流集会in旭川プレ大会 & I am hereの会 ミニミニ忘年会


 コロナ禍のなかでのZOOM配信で、ようやく、運営メンバー3名で見ることができた今回の交流会。
ひろみちゃんが仕事の都合で途中参加だったけど、久しぶりに3人が一つの場所に集まる形だったので、ついでに忘年会もしよっかあ~のノリでスタートしました。

実行委員は旭川の方々だったのですが、当事者研究ということで、もちろんべてるの向谷地さん、伊藤さん、山根さん(本当は、ミスターべてる早坂きよしさんが出席予定だったのですが、「ぱぴぷぺぽ」で残念ながら参加できなかったために、代理としての参加)などといった、べてるのおなじみメンバーの顔も。

内容としては、例えていうなら、前半は「原点の人たちが語る当事者研究の入門編」。
後半は「実際にやってみよう」そして、「11年研究してみた当事者の実践報告」という展開だったんだろうと思います。

病気が治るだけが、精神科治療だけではない。
病気が治っても、社会の中に戻れなかったらまた再発し、病院へ戻ってしまう。
たとえ病気が一生続くことになったとしても、上手に向き合いながら社会の中で生きていくチカラを手に入れることのほうが大切なのではという精神科リカバリーの考え方。

それを当事者なりに、考え、ノウハウを作っていったのがある意味「べてるの家での当事者研究」なんだと思います。

今自分の周りに照らし合わせると、まさに精神科リカバリーの考え方を重要視していかなければならないよなと感じることが多いです。

例えば、せっかくA型を卒業し、一般就労したのはいいけれど、結局なじめずA型就労に戻ってきてしまう人。また、戻ることもできずに、結局家に引きこもり始めたという人の存在。

あるいは、「福祉や医療制度について情報が少なすぎる!」と声を上げる当事者、でもしっかりとネットや新聞、自治体広報などで調べたらしっかり情報はそこにある……要は、調べ方に対するスキル不足の面が当事者にあるということ。

「健常者の障がいへの理解が足りないからだ。」という人は言うけど、100%そうじゃないと個人的に私は思います。

長期の引きこもり、入院などで学び損ねた「社会の中で生きていくチカラ。」がいかに障がい当事者は多い事か、長年働かせてもらったA型就労の現場や、2年たった、I am hereの会で、ものすごく身に染みた自分がいました。

いろいろ考えていく中で、今後の会の活動の方向も少しずつやりたいことが見えてきたかなということで、来年の I am hereの会は、
「社会の中で、当事者が生きていくチカラ(=リカバリー)を学べる場所づくり。」を考えてみようかなと。

まずは、「そもそもリカバリーって何だろう。」を改めて考えてみてから、「セルフケア」だったり「ピアサポート」だったり、今、地元の当事者が考えてみる必要性のあることをちょっと活動の中に取り上げていきたいなと思っています。

改めていろいろ考えさせられていた中で、初めて参加したほかの2人。
特にえみちゃんはカルチャーショックを受けたような印象でした。
まあ、えみちゃんは、3人の運営メンバーの中で、A型就労を卒業し、一般就労をスタートした状態での参加だった分、いろいろ考えさせられたことも多かったんだろうと思います。

長丁場で、かなり頭も使い、最後まで交流会に参加した後は、退室まで1時間あったので、おつまみ用のザンギを頼んでそれをおかずに忘年会。
会場として使わせてもらった「釧路市交流プラザさいわい」は、施設内に食堂があり、食堂に連絡すると研修会場までご飯を運んでくれます。
お昼ご飯も同じようなカタチで、わたしは生姜焼き定食いただきました。
値段もリーズナブルでおいしかったです。



話を戻して、来年の当事者研究ネットワークの交流集会は旭川。
今回はプレ大会ということになったんだそうです。
それまで、新型コロナが落ち着くといいですね。

2020年12月13日日曜日

職場のMacが壊れてショック。



「職場のMacが壊れてショック。」
これほど、仕事のモチベーションが低下するものはない。

怪しい傾向があったから、あんだけ、社内ネットワークの共有フォルダ―入れとけって言われてたのに、データ死んでる可能性大だよ。あははは……。わーん(´;ω;`)

月曜日、スタッフさんの手に委ねるしかない。
パソコンはおじゃんでもデータは救ってくれ!!たのむ!!Tさん!!

ここ最近は、WindowsとMacの二刀流で仕事している自分がなんかカッコいかったのにな。

どうしてもillustratorとPhotoshopが必要ってとき、従来のワタシ使用のWindowsに入っていなくて、Macを借りているうちにワタシ使用になっていたみたいです。
今日は、しぶしぶ、必要部分をほかの席のMacを使わせてもらい、やれる範囲をWindowsで事務仕事~の一日でした。(笑)

Macほしいです。でも高いんだよね。(´;ω;`)ウッ…
しかも今、Adobeのソフト、サブスク方式なので、年ごとにお金がかかる。
しかもその金額が高いのよね。
Officeソフトもサブスクリプション方式になりつつあるけど、とりあえず、まだ3年は今のバージョン使えるからまだ猶予がもらえていますが……。

求む!!PCソフトの福祉割!!
だって、アカデミック版(学割)で学生や教育現場の人たちが安く買えるなら、福祉割があってもいい気がするんだけどなあ……。

2020年12月6日日曜日

自分の中の仕事の常識をぶち破れ。~その2~


 最近、お昼ご飯食べたら、散歩してます。とは言えど、周辺ぐるりと3~5分。(笑)
「散歩のうちに入らんだろー。」と仲間に言われましたが、がっつりやりすぎて疲れて午後の仕事に支障きたしたら、意味がないよなあって。

おかげさまで、職場にいる時間も増え、いろいろな人を巻き込んで仕事できる楽しみが増え。ありがたい一方で、ほんのちょっと一人ぼっちになりたい時間もあって。
ほんの少しだけど空を眺める時間は、ほんと癒されます。

今、割と順調と思っていいのかもしません。

悩むことは日々あるけど、まあ、何とかなるみたいな。

この根拠のない「何とかなる」に意外と最近は気持ちを助けられている気がします。

もう、自分の中の常識と呼ばれていたものがいろいろ崩壊したせいなのかも。
その分、仕事や生き方の視野がまた広がったなあと。

そういえば、ひとつ、おもしれ~と思った話題。

「忘れないようにメモをとりましょう。」

最近一緒に仕事しているAさん(仮)。
服薬している薬の影響なんだろうけど、モノを覚えることが若干苦手。
本人も、それを知ってなのか、すごくメモとるんです。
”このデータはこの場所に入っている。”
”SNSに画像を張り付ける前に解像度がいくらになっているかを確認する。”
”最終チェックは……。”
そのほかいろいろ、操作方法まで一生懸命書くんです。

でも、いざ!開始となると。
「ごめん!わかんない。データどこだっけ??」と私のそば。
「え?メモしてたよね??」と私。
大体理由のパターンはだいたい以下の通り。

1.メモしていることすら忘れる。
・「あれ、そうだっけ?(メモを探して)……あ!あった。」
2.書いたんだけど、何をどう書いたのか自分でわからなくなった。
・「なにか、いっぱい書いてはいるけど、どれだ??」
・「これ、なんのときにやることだったっけ??」
3.一生懸命書くことに集中しすぎて疲れて、次の作業がめんどくさくなった。
・「いや、メモ見ろっつったって……。(ブツブツ……。)」

「おいおい!」と突っ込み満載。
一般就労なら、嫌な顔されるか、短気な人ならお叱りモードになるレベル。
かつてのワタシもイライラモード炸裂でした。

でもね。

ある日、それでも一生懸命メモとる姿を見ていると。
「それでも、覚えようって努力はしてるんだろうなあ。」って思いが頭にふと浮かんだ時、不思議と許せちゃって。
「あ、嫌がらずに一生懸命やろうとはしてくれているんだ。」って思えたら、うれしくなっちゃった自分がいました。

成果を求めてしまえば、マイナス要素に見えすぎて、その人の評価を下げてしまうことも、実は、違ったカタチでプラス要素として評価できることも実はあって。

ちょっぴり、自分の仕事に対するキャパが広げられたというか、余裕が生まれたっていうか……ふと、「楽しいな。」って思えた瞬間でした。

この感覚が一般企業にもあったら、障がい者就労に前向きな企業も増えそうなのになとふと、おもいます。